「私」しかない。そして思慮が浅い。
こんなの来ました。
肉屋を猛烈に支持する豚と2chで書かれてたので見に来ました。
ロリ系のエロ漫画なんて自民が潰したくて仕方の無い代物を職業にしてる方が自民支持で創作物規制に反対する民主を叩くんですから世界は面白いですね。
いやまぁ前も同じようなヤツ来たんだけど。
これと同じ意見のやつはよ〜〜〜〜く聞いとけ。
敬語なんて使わねーぞ。
今から始まるのはお説教だ。
自分の仕事と国を天秤にかけたら国のが重いに決まってんだろーが。
国って何か分かるか。
政府じゃないぞ。
この土地にある歴史土地風俗文化生活人間全て。
そしてそれを支えて作り上げてきたこれまでの全てと
ここから始まるこれからの全てだ。
それが「国」だ。
自分の家族や友人恩人も当然含まれてる。
もちろん自分の仕事だって大事だ。
漫画業界なんて面白くなかったら話にならねぇんだから
一切の表現規制は致命傷だ。
自主規制や常識による規制ならともかく法規制は業界自体をいずれ殺してしまう。
規制が多くなればなるほど漫画は面白くなくなっていくし
面白くなくなったら漫画そのものが終わりだ。
子供に見せられるものしか認められない漫画なんて誰が読むか。
自民が規制するってんなら国会乗り込んででも物申してやる。
だがその前にまずその文化や仕事そのものを保持してる土台である「国」が優先だろうが。
精神論感情論や公的な視点を一切廃止して自分のことだけ考えたとしても
今の仕事がなくなっても国そのものがしっかりしてればどうにでも食っていけるが
国が駄目になったら食ってくこと自体が出来ねーんだよ。
失職者の暴動が起きたり
大量流入して民主が主張してるような特権を手に入れた外国人との内戦が始まったとき
漫画が売れる余裕があるとでも思ってんのか。
そんなことにはならないとでも思ってるか?
未来でも見えてんのか。
ボケすぎだ。
先のことなんて想像しかできんし
起こるときはナンだって起こるんだよ。
そして起こったときはもう遅せぇんだよ。
起こらなかったら万歳三唱ってだけだ。
だからせめてなんとかそんな最悪の事態にならんように一番「マシ」なトコを支持し投票する。
自民がマイナス10で民主や共産がマイナス50ならマイナス10を選ぶ。
マイナス50が今政権握ってやがるのでせめてマイナス10レベルになってもらうべく、
もしくはかつてのマイナス10に戻ってもらうため批判する。
もちろんプラスの新政党が出来てくれりゃ最高だが。
たとえそれで自分の飯の種がなくなろうとな。
一小市民にはそのくらいしか出来ること無いからだ。
無力ながらも俺の仕事なくなってもいいから
せめてそんな最悪の事態になりませんようにって祈りだ。
なぜ俺が自民を支持したか分かったか?
それが笑えるってんならもういいぞ。
何も言うことは無いから大いに笑ってろ。
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肉屋を猛烈に支持する豚と2chで書かれてたので見に来ました。
ロリ系のエロ漫画なんて自民が潰したくて仕方の無い代物を職業にしてる方が自民支持で創作物規制に反対する民主を叩くんですから世界は面白いですね。
いやまぁ前も同じようなヤツ来たんだけど。
これと同じ意見のやつはよ〜〜〜〜く聞いとけ。
敬語なんて使わねーぞ。
今から始まるのはお説教だ。
自分の仕事と国を天秤にかけたら国のが重いに決まってんだろーが。
国って何か分かるか。
政府じゃないぞ。
この土地にある歴史土地風俗文化生活人間全て。
そしてそれを支えて作り上げてきたこれまでの全てと
ここから始まるこれからの全てだ。
それが「国」だ。
自分の家族や友人恩人も当然含まれてる。
もちろん自分の仕事だって大事だ。
漫画業界なんて面白くなかったら話にならねぇんだから
一切の表現規制は致命傷だ。
自主規制や常識による規制ならともかく法規制は業界自体をいずれ殺してしまう。
規制が多くなればなるほど漫画は面白くなくなっていくし
面白くなくなったら漫画そのものが終わりだ。
子供に見せられるものしか認められない漫画なんて誰が読むか。
自民が規制するってんなら国会乗り込んででも物申してやる。
だがその前にまずその文化や仕事そのものを保持してる土台である「国」が優先だろうが。
精神論感情論や公的な視点を一切廃止して自分のことだけ考えたとしても
今の仕事がなくなっても国そのものがしっかりしてればどうにでも食っていけるが
国が駄目になったら食ってくこと自体が出来ねーんだよ。
失職者の暴動が起きたり
大量流入して民主が主張してるような特権を手に入れた外国人との内戦が始まったとき
漫画が売れる余裕があるとでも思ってんのか。
そんなことにはならないとでも思ってるか?
未来でも見えてんのか。
ボケすぎだ。
先のことなんて想像しかできんし
起こるときはナンだって起こるんだよ。
そして起こったときはもう遅せぇんだよ。
起こらなかったら万歳三唱ってだけだ。
だからせめてなんとかそんな最悪の事態にならんように一番「マシ」なトコを支持し投票する。
自民がマイナス10で民主や共産がマイナス50ならマイナス10を選ぶ。
マイナス50が今政権握ってやがるのでせめてマイナス10レベルになってもらうべく、
もしくはかつてのマイナス10に戻ってもらうため批判する。
もちろんプラスの新政党が出来てくれりゃ最高だが。
たとえそれで自分の飯の種がなくなろうとな。
一小市民にはそのくらいしか出来ること無いからだ。
無力ながらも俺の仕事なくなってもいいから
せめてそんな最悪の事態になりませんようにって祈りだ。
なぜ俺が自民を支持したか分かったか?
それが笑えるってんならもういいぞ。
何も言うことは無いから大いに笑ってろ。
スポンサーサイトジレンマ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6479878
すっごく見たいです。
でも見たら後悔しそうな気がします。
なのはの魅力は思い出の中だけにとどめときたいような
でもこのクオリティならやっぱり見たいようなそんな気分。
すっごく見たいです。
でも見たら後悔しそうな気がします。
なのはの魅力は思い出の中だけにとどめときたいような
でもこのクオリティならやっぱり見たいようなそんな気分。
根っこを正さなきゃならんと思うんです2
民主主義の本質は議論では無いというご意見をいただいた
(いただいただけでまだ意見は変わっていませんがちょっと再検討します。)ので
ちょっとそこは保留しています。
私の中で民主主義の基本は議論では無い可能性が出てきましたので
「政治形態、主義主張問わず人が正しい答え、正しい結果を見出すために必要なものは議論である」
という方向で話を続けます。
正しい答えを得るには議論が必要なわけですが
大概の人間は「正意」(略語 より正しい答え、より良い結果を求める意思)に軸を置くと同時に
その「正意」から導き出されたなんらかの答えにまた別の軸を刺しています。
そして軸のいずれか、あるいは全てに自身の思考や誇り、自信など人格的本質をおいています。
見出した「答え」に本質を置いた人。
それが「意見が絶対変わらない人」です。
宗教家や政治思想の持ち主、感情的な人間に数多く居ます。
宗教家なんかモロです。
神とその教義は正しいという答えに本質を置いているのでその軸は絶対動きません。
「正意」の軸は本質がおかれない仮のものとなり、
時として「正意」の軸がすっぽ抜け現実に危害を加えるような判断を下します。
何らかの答えを見つけてそれが正しいと思い込むことは人間なら誰でもあります。
しかし、「正意」にしっかり軸を据えている人間はその答えが間違ったとき即座に、
あるいは時間をかけてでも必ずその間違った軸を抜いて「正意」に則り
正しいほうに修正をする、「答えを変える」ことが出来ます。
「答えを変える」「意見を変える」のは実に理想的でいいことなのです。
「君子豹変す」(賢いものは豹柄のようにすぐに意見を正す。)です。
「正意」にしっかり軸を据えている人間は反対意見や反論や批判を好みます。
別の視点や発想をくれたり論の欠点や過ちを指摘しより良くしてくださると
いうのですからそりゃもう大歓迎です。
自分が出した答えがどれほど明確にコテンパンに論破されたとしても
答えは所詮仮であって自分の本質をおいているのは「正意」の軸なので痛くも痒くもない。
論破されるのは喜ばしいことなんです。
感謝して答えをより正しく変えるだけです。
しかし、この「正意」から軸がぶれ、「{答え}に本質をおいた」、
すなわち「本質が正しい所に無い」人間は
反対意見や反論批判を親の仇のように憎みます。
なぜならそれらは全て自分の本質を脅かすものだからです。
出した「答え」(十中八九間違っているであろう答え)に本質をおいているから
反対意見の持ち主や反論してきた相手が「敵」になってしまい
論破されることは本質を脅かされることでありなんとしてでも答えを変えるわけに行かなくなります。
そして保身に走り論理破綻したり主張はあるくせに理想的な議論はおろか
レッテルを貼るだけで論を戦わせすらしないわけの分からん人間になってしまいます。
こういう人は軸がぶれていないようでいて根本的な部分で軸がぶれています。
何らかの「答え」に刺した軸が本質になった時点で
一番動かしてはならない軸である「正意」の軸が仮になってしまいぶれてしまっています。
たとえ現在持っている「答え」が現状正しく
そこに本質を置いても揺らぐことが無いとしても
「正意」は仮になってしまっています。
例え答えが正しくても本質は間違っていて覆されそうになれば
いつでも「正意」が放り出されてしまう危険な状態です。
この本質がぶれた人間が多いため議論=ケンカのような状態となり議論が忌避される。
議論をしなければ正しい答えは見つからないのに。
特に政治関係の人間にそういう本質の置き場所がブレた人間が多いため
「政治の話題は争いを呼ぶ」と政治の話題自体がタブー化してしまった。
致命傷です。
いい年したオトナが政治に興味ないとかそんな台詞を平気で吐ける社会になってしまった。
結果どうなるかというと
例えばマスコミに煽られるだけでごっそり票を動かして国の進行方向をむやみに乱したり
訳も分からずなんとなくで票を投じ駄目な人間を当選させたり。
これじゃ世の中良くなるわけ無いよね。
自民の誰かが勉強しないやつは投票しないで欲しい的な主旨のことを言って叩かれてましたが
それは全く正論です。
分からないなら票を入れてはいけません。
投票率が低いのは問題ですがそれは政治に関心の無い率が高いのが問題なのであって
投票率だけ上がったって無意味どころか有害です。
分からないなら棄権すべきです。
自分なりに考え抜いた末一票を投じた人の一票を霞めさせてはいけません。
「答え」に本質を置いては居ませんか?
論破されることを恐れては居ませんか?
議論は戦うものでは無く協力作業です。
きちんと「議論」が出来てますか?
一人一人が「正意」に本質を置き自分で考え議論する。
でなければいくら政治を改革しようったって無駄です。
我々国民自身がまず変わらなければ。
日本は民主主義国家なんですから。
という内容の政治漫画描こうかとか考えたんだけど。
どうだろう。
ここまで似合わない理想論ずらずら書きましたが
まーねー。理想は大事だし最大限そうあるよう努力すべきなんだけど
人間立場も利害もあるからなかなかそうは行かないんですよね。
というわけで日本で議論と言えばテレビなんかでも「討論」が目立つんですが
「討論」の仕組みと見方を少々参考までに。
討論は論客と審判で成り立ちます。
論客は互いに自分の主張を徹底的に押し通し相手の論をこき下ろし否定します。
審判はそれを見て二つの、あるいはそれ以上の主張のうちどれが正しいか判断します。
討論番組の審判は視聴者。
ネットならウォッチャーでしょうか。
討論のいいところはただのケンカ同然の罵り合いにすら建設的な価値を生み出す点です。
ののしりあう様を見ている傍観者が漁夫の利を得られるといってもいい。
ただ見る際に注意すべき点は
1、論客の数は関係ない。
論客の数が1000対1であっても論の正しさには何の関係もありません。
ひたすら中身なしにレッテルを張り、
数とレッテルだけで論敵をつぶそうとする連中もいるので気をつけなければいけません。
2、言い回しも感情も関係ない。
重要なのは内容が正しいか否かであって言い方がどうとかこっちは可哀想だからどうこうとか
そういうことは一切判断に加えてはいけません。
好き嫌い可哀想などの感情論が多く含まれ、同情を誘うような発言者には気をつけましょう。
中身が無い場合が多いです。
3誰が言っているかも関係ない
全ての議論では基本中の基本なんですが
その発言を誰が言ったかは全く関係がないので判断に加えてはいけません。
聖人君子だろうと極悪非道の下種だろうと
発言者のことが好きだろうと嫌いだろうと
議論の場では全く関係ないので判断に加えてはいけません。
(ちなみに議論の場で論をほっぽりだして人格批判を始めたらもう敗北宣言です。)
これらをわずかでも判断に加えてしまうと
致命的に道を誤ることにつながります。
なお、ネットなどの場合こういった敗北宣言もあります。
・相手の論に反対は表明するのだが内容を一切無視、あるいは揚げ足を取り
からかう、おちょくるレッテルを貼るなど真正面から論破しようとしない。
こういった行為は敗北宣言です。
相手の主張を打ち負かしたいなら真正面から論破するのが
一番いいにもかかわらずそれをしないで逃げ回りリングの外から空き缶を投げつける。
これは
「反対したいけれど私は間違っているので正しいあなたを論破できません。」
と行動で示していることに他なりません。
見かけたら一言言ってあげるととても親切だと思います。
完全に「正意」ではなく「答え」に軸を置いてる人間なので言っても聞かないとは思いますが。
(いただいただけでまだ意見は変わっていませんがちょっと再検討します。)ので
ちょっとそこは保留しています。
私の中で民主主義の基本は議論では無い可能性が出てきましたので
「政治形態、主義主張問わず人が正しい答え、正しい結果を見出すために必要なものは議論である」
という方向で話を続けます。
正しい答えを得るには議論が必要なわけですが
大概の人間は「正意」(略語 より正しい答え、より良い結果を求める意思)に軸を置くと同時に
その「正意」から導き出されたなんらかの答えにまた別の軸を刺しています。
そして軸のいずれか、あるいは全てに自身の思考や誇り、自信など人格的本質をおいています。
見出した「答え」に本質を置いた人。
それが「意見が絶対変わらない人」です。
宗教家や政治思想の持ち主、感情的な人間に数多く居ます。
宗教家なんかモロです。
神とその教義は正しいという答えに本質を置いているのでその軸は絶対動きません。
「正意」の軸は本質がおかれない仮のものとなり、
時として「正意」の軸がすっぽ抜け現実に危害を加えるような判断を下します。
何らかの答えを見つけてそれが正しいと思い込むことは人間なら誰でもあります。
しかし、「正意」にしっかり軸を据えている人間はその答えが間違ったとき即座に、
あるいは時間をかけてでも必ずその間違った軸を抜いて「正意」に則り
正しいほうに修正をする、「答えを変える」ことが出来ます。
「答えを変える」「意見を変える」のは実に理想的でいいことなのです。
「君子豹変す」(賢いものは豹柄のようにすぐに意見を正す。)です。
「正意」にしっかり軸を据えている人間は反対意見や反論や批判を好みます。
別の視点や発想をくれたり論の欠点や過ちを指摘しより良くしてくださると
いうのですからそりゃもう大歓迎です。
自分が出した答えがどれほど明確にコテンパンに論破されたとしても
答えは所詮仮であって自分の本質をおいているのは「正意」の軸なので痛くも痒くもない。
論破されるのは喜ばしいことなんです。
感謝して答えをより正しく変えるだけです。
しかし、この「正意」から軸がぶれ、「{答え}に本質をおいた」、
すなわち「本質が正しい所に無い」人間は
反対意見や反論批判を親の仇のように憎みます。
なぜならそれらは全て自分の本質を脅かすものだからです。
出した「答え」(十中八九間違っているであろう答え)に本質をおいているから
反対意見の持ち主や反論してきた相手が「敵」になってしまい
論破されることは本質を脅かされることでありなんとしてでも答えを変えるわけに行かなくなります。
そして保身に走り論理破綻したり主張はあるくせに理想的な議論はおろか
レッテルを貼るだけで論を戦わせすらしないわけの分からん人間になってしまいます。
こういう人は軸がぶれていないようでいて根本的な部分で軸がぶれています。
何らかの「答え」に刺した軸が本質になった時点で
一番動かしてはならない軸である「正意」の軸が仮になってしまいぶれてしまっています。
たとえ現在持っている「答え」が現状正しく
そこに本質を置いても揺らぐことが無いとしても
「正意」は仮になってしまっています。
例え答えが正しくても本質は間違っていて覆されそうになれば
いつでも「正意」が放り出されてしまう危険な状態です。
この本質がぶれた人間が多いため議論=ケンカのような状態となり議論が忌避される。
議論をしなければ正しい答えは見つからないのに。
特に政治関係の人間にそういう本質の置き場所がブレた人間が多いため
「政治の話題は争いを呼ぶ」と政治の話題自体がタブー化してしまった。
致命傷です。
いい年したオトナが政治に興味ないとかそんな台詞を平気で吐ける社会になってしまった。
結果どうなるかというと
例えばマスコミに煽られるだけでごっそり票を動かして国の進行方向をむやみに乱したり
訳も分からずなんとなくで票を投じ駄目な人間を当選させたり。
これじゃ世の中良くなるわけ無いよね。
自民の誰かが勉強しないやつは投票しないで欲しい的な主旨のことを言って叩かれてましたが
それは全く正論です。
分からないなら票を入れてはいけません。
投票率が低いのは問題ですがそれは政治に関心の無い率が高いのが問題なのであって
投票率だけ上がったって無意味どころか有害です。
分からないなら棄権すべきです。
自分なりに考え抜いた末一票を投じた人の一票を霞めさせてはいけません。
「答え」に本質を置いては居ませんか?
論破されることを恐れては居ませんか?
議論は戦うものでは無く協力作業です。
きちんと「議論」が出来てますか?
一人一人が「正意」に本質を置き自分で考え議論する。
でなければいくら政治を改革しようったって無駄です。
我々国民自身がまず変わらなければ。
日本は民主主義国家なんですから。
という内容の政治漫画描こうかとか考えたんだけど。
どうだろう。
ここまで似合わない理想論ずらずら書きましたが
まーねー。理想は大事だし最大限そうあるよう努力すべきなんだけど
人間立場も利害もあるからなかなかそうは行かないんですよね。
というわけで日本で議論と言えばテレビなんかでも「討論」が目立つんですが
「討論」の仕組みと見方を少々参考までに。
討論は論客と審判で成り立ちます。
論客は互いに自分の主張を徹底的に押し通し相手の論をこき下ろし否定します。
審判はそれを見て二つの、あるいはそれ以上の主張のうちどれが正しいか判断します。
討論番組の審判は視聴者。
ネットならウォッチャーでしょうか。
討論のいいところはただのケンカ同然の罵り合いにすら建設的な価値を生み出す点です。
ののしりあう様を見ている傍観者が漁夫の利を得られるといってもいい。
ただ見る際に注意すべき点は
1、論客の数は関係ない。
論客の数が1000対1であっても論の正しさには何の関係もありません。
ひたすら中身なしにレッテルを張り、
数とレッテルだけで論敵をつぶそうとする連中もいるので気をつけなければいけません。
2、言い回しも感情も関係ない。
重要なのは内容が正しいか否かであって言い方がどうとかこっちは可哀想だからどうこうとか
そういうことは一切判断に加えてはいけません。
好き嫌い可哀想などの感情論が多く含まれ、同情を誘うような発言者には気をつけましょう。
中身が無い場合が多いです。
3誰が言っているかも関係ない
全ての議論では基本中の基本なんですが
その発言を誰が言ったかは全く関係がないので判断に加えてはいけません。
聖人君子だろうと極悪非道の下種だろうと
発言者のことが好きだろうと嫌いだろうと
議論の場では全く関係ないので判断に加えてはいけません。
(ちなみに議論の場で論をほっぽりだして人格批判を始めたらもう敗北宣言です。)
これらをわずかでも判断に加えてしまうと
致命的に道を誤ることにつながります。
なお、ネットなどの場合こういった敗北宣言もあります。
・相手の論に反対は表明するのだが内容を一切無視、あるいは揚げ足を取り
からかう、おちょくるレッテルを貼るなど真正面から論破しようとしない。
こういった行為は敗北宣言です。
相手の主張を打ち負かしたいなら真正面から論破するのが
一番いいにもかかわらずそれをしないで逃げ回りリングの外から空き缶を投げつける。
これは
「反対したいけれど私は間違っているので正しいあなたを論破できません。」
と行動で示していることに他なりません。
見かけたら一言言ってあげるととても親切だと思います。
完全に「正意」ではなく「答え」に軸を置いてる人間なので言っても聞かないとは思いますが。
根っこを正さなきゃならんと思うんです。
世の中問題は数あれど
それを正すにはどうすればいいのか。
「場当たり的に一つ一つ」も一つの手ですがそれでは対症療法にしかなりません。
国を人間に例えるなら薬を飲んだり手術をしたりということ。
「そもそも病気にならないように健康状態を底上げ」しなければ
手術と薬でズタズタになってしまいます。
ウヨサヨ立場信条宗教を超えて根本的な何かを改善せなねばならんのです。
問題解決をするには根源を正さなければいけません。
根源を正すには根源が何かを知らなければなりません。
根源が何かを知るためには・・・根源を知る・・・といったら哲学?
あーそうか。哲学ってそのための学問だったのか。
俺哲学の授業なんか受けたことねーけど。
まずとりあえず一切合切忘れて純粋に根源を見出しそこから順番に
正しい論理を辿っていき現状の日本の病理の原因や、改善すべき点を探ってみようと思います。
いや、別に宇宙から悪い電波受信してるわけではないのでご安心ください。
まず徹底的に根源から行きましょう。
あまねく全ての中で唯一絶対といえるもの。
それは「我思うゆえに我あり」
哲学の第一原理(だっけ?)だそうです。
あなたは今このブログを読んでいますが本当にそうですか?
マトリックス的な機械に寝かされてそういう夢を見せられてるだけで無いとは言い切れません。
実はあなたは神さまで誰も居ない虚空で一人夢を見ているだけで無いとは言い切れません。
こんな感じで疑えるものを全て疑いつくした結果、最後に
「自分という意思は存在するのか?」という疑いが残ります。
しかし疑った瞬間「自我の存在を疑っている自我」の存在が証明されてしまいます。
なので「我思うゆえに我あり」は疑いようが無い、
疑うことで逆に存在が証明されてしまう絶対的に正しい唯一の原理です。
これは逆を言えば世の中で絶対確実のものは「自我の存在だけしかない」ということです。
そのほかの全ては仮定。仮のもの。
新たな事実が浮上すれば覆されてしまうものだということです。
絶対正しいと信じた主義主張も新たな情報が入れば根底から覆されてしまう「仮」のものですし
世界の存在そのものさえもあなたの元にマトリックスからの使者が現れれば覆されてしまう「仮」のものです。
これは後々重要な意味を持つので知識ではなく実感として覚えておくべきことです。
まずここに一本軸を立て思考の根本として固定しましょう。
「自我の存在以外に絶対はありえず、
それ以外は全て仮定、仮のものである」
絶対正しい根源、シャツのボタンの一つ目なのでしっかり押さえなければなりません。
さていつまでも根源的過ぎて宗教家と紙一重のレベルの話をしていても仕方ありません。
人間社会のレベルに入ります。
ここからが本番です。
人間社会では人間社会が存在するということは大前提なので
存在すると「仮定」した上で話を進めることになります。
「仮」とはいえ「定めた」のでこの後人間社会の存在そのものに対する疑問は持ってはいけません。
話が進まないからです。
マトリックスからの使者が来たなら別ですが。
次は人間社会で絶対的に正しいことを見つけそれを軸にしなければなりません。
しかし人間の世界は相対的、
相対的な全ての中で絶対的に正しいことを見つける。
はてこれは困難です。
資本主義でしょうか。共産主義でしょうか。神でしょうか。ウヨサヨでしょうか。
どれもこれも人間社会で必ずしも正しいとはいえません。
当然、それらは全て人が生きて経験してきた中で得た「答え」の一つに過ぎないからです。
人間社会で絶対的に正しいもの。
それは末端の「答え」ではなくその答えにたどり着くための出発点、
「より正しく、より良い結果を導こうという意思」そのものです。
「より間違ったより悪い結果を導こうという意思」も考えられますが
人間社会ではこれは正しくありません。
人間社会では人間の生きる意志、より「良く」なりたいという根本的な欲求と意思が根底にあり
それに沿う「より正しくより良くという意思」は「人間社会の中では」絶対的に正しいのです。
誤解の無いようにはっきりと書きますが人間社会の中で絶対的に正しいのは
「より正しく、より良い結果を導こうという意思」だけであって
その意思によって導き出された「答え」は絶対ではありません。
なぜなら人はこの世の全てを知り尽くしては居ません。
導き出された「答え」は「現在自分が持っている情報」という
極端に限定された条件の中で導き出された「仮定」の答えでしかありません。
新たな情報、新たな視点が加われば当然
根底から覆され変更しなければならない仮定のものだと言うことです。
どんなに絶対と思えても絶対ではありません。
絶対なのは「我思うゆえに我あり」唯一つです。
人間社会に限定すれば「より正しくより良くという{意思}」唯一つです。
それ以外の何かを絶対だと思ったならそれは100%勘違いであり妄信です。
二つ目の軸はここに立て固定しましょう。
「人間社会で」絶対的に正しい
「より正しい答えを、より良い結果を導き出そうという意思」
長いので「正意」と略します。
今後「正意」というときは上記の意味で使用します。
この意思「正意」こそが人間社会であらゆる判断の軸になるべきもの。
明確に固定されねばならない「軸」です。
「正意」から導かれた「答え」に軸を移してはなりません。
「答え」は常に間違っている可能性を多分に秘めた「仮」だからです。
いや十中八九間違っているでしょう。
所詮一人の人間が現在持っている情報「だけ」で導き出した答えなんですから
間違っていないほうがおかしい。
間違っているものを軸にしてはおかしな人間になってしまいます。
次にその「正意」に従い、より正しい答え、より良い結果を導く方法に進みます。
人一人が持つ情報量など高が知れています。
常に知らないことのほうが多い。圧倒的に多い。絶望的に多い。
自分が知らないということすら知らなかったりします。
また一人では一人分の視点しか持てません。
別の視点や新たな情報を持つには他人が必要です。
互いの意見や情報を共有し間違いを正しつつ
多方面から検証し「答え」を「より正しい答え」に修正し昇華し共有する協力作業があります。
そうです。それが議論です。
はて・・・
しかしこの日本で議論というものは正しく行われているでしょうか。
国会でもネットでも酒の場でも
互いの意見や情報を共有し間違いを正しつつ
多方面から検証し「答え」を「より正しい答え」に修正し昇華し共有する協力作業
が行われているでしょうか。
小さな会社の会議などではしっかり行われてたりしますが
国会でそんな美しいもの見たこと無いなぁ・・・
2ちゃんレベルというか子供のケンカ?
「互いの意見や情報を共有し間違いを正しつつ
多方面から検証し「答え」を「より正しい答え」に修正し昇華し共有する協力作業」
これに当てはまらないならそれは議論ではありませんケンカです。
討論という形式の議論もありますが
これはどちらか、あるいは両方が「正意」に軸を置かない者である場合の次善策です。
議論は協力作業です。
参加する全員が「正意」に軸をおいていない限り成り立ちません。
ちなみに。
民主主義国家の本質は「議論」です。
・・・・・ちょっと日本の病理の根源が見えてきた感じがしませんか?
続くっ!!!
それを正すにはどうすればいいのか。
「場当たり的に一つ一つ」も一つの手ですがそれでは対症療法にしかなりません。
国を人間に例えるなら薬を飲んだり手術をしたりということ。
「そもそも病気にならないように健康状態を底上げ」しなければ
手術と薬でズタズタになってしまいます。
ウヨサヨ立場信条宗教を超えて根本的な何かを改善せなねばならんのです。
問題解決をするには根源を正さなければいけません。
根源を正すには根源が何かを知らなければなりません。
根源が何かを知るためには・・・根源を知る・・・といったら哲学?
あーそうか。哲学ってそのための学問だったのか。
俺哲学の授業なんか受けたことねーけど。
まずとりあえず一切合切忘れて純粋に根源を見出しそこから順番に
正しい論理を辿っていき現状の日本の病理の原因や、改善すべき点を探ってみようと思います。
いや、別に宇宙から悪い電波受信してるわけではないのでご安心ください。
まず徹底的に根源から行きましょう。
あまねく全ての中で唯一絶対といえるもの。
それは「我思うゆえに我あり」
哲学の第一原理(だっけ?)だそうです。
あなたは今このブログを読んでいますが本当にそうですか?
マトリックス的な機械に寝かされてそういう夢を見せられてるだけで無いとは言い切れません。
実はあなたは神さまで誰も居ない虚空で一人夢を見ているだけで無いとは言い切れません。
こんな感じで疑えるものを全て疑いつくした結果、最後に
「自分という意思は存在するのか?」という疑いが残ります。
しかし疑った瞬間「自我の存在を疑っている自我」の存在が証明されてしまいます。
なので「我思うゆえに我あり」は疑いようが無い、
疑うことで逆に存在が証明されてしまう絶対的に正しい唯一の原理です。
これは逆を言えば世の中で絶対確実のものは「自我の存在だけしかない」ということです。
そのほかの全ては仮定。仮のもの。
新たな事実が浮上すれば覆されてしまうものだということです。
絶対正しいと信じた主義主張も新たな情報が入れば根底から覆されてしまう「仮」のものですし
世界の存在そのものさえもあなたの元にマトリックスからの使者が現れれば覆されてしまう「仮」のものです。
これは後々重要な意味を持つので知識ではなく実感として覚えておくべきことです。
まずここに一本軸を立て思考の根本として固定しましょう。
「自我の存在以外に絶対はありえず、
それ以外は全て仮定、仮のものである」
絶対正しい根源、シャツのボタンの一つ目なのでしっかり押さえなければなりません。
さていつまでも根源的過ぎて宗教家と紙一重のレベルの話をしていても仕方ありません。
人間社会のレベルに入ります。
ここからが本番です。
人間社会では人間社会が存在するということは大前提なので
存在すると「仮定」した上で話を進めることになります。
「仮」とはいえ「定めた」のでこの後人間社会の存在そのものに対する疑問は持ってはいけません。
話が進まないからです。
マトリックスからの使者が来たなら別ですが。
次は人間社会で絶対的に正しいことを見つけそれを軸にしなければなりません。
しかし人間の世界は相対的、
相対的な全ての中で絶対的に正しいことを見つける。
はてこれは困難です。
資本主義でしょうか。共産主義でしょうか。神でしょうか。ウヨサヨでしょうか。
どれもこれも人間社会で必ずしも正しいとはいえません。
当然、それらは全て人が生きて経験してきた中で得た「答え」の一つに過ぎないからです。
人間社会で絶対的に正しいもの。
それは末端の「答え」ではなくその答えにたどり着くための出発点、
「より正しく、より良い結果を導こうという意思」そのものです。
「より間違ったより悪い結果を導こうという意思」も考えられますが
人間社会ではこれは正しくありません。
人間社会では人間の生きる意志、より「良く」なりたいという根本的な欲求と意思が根底にあり
それに沿う「より正しくより良くという意思」は「人間社会の中では」絶対的に正しいのです。
誤解の無いようにはっきりと書きますが人間社会の中で絶対的に正しいのは
「より正しく、より良い結果を導こうという意思」だけであって
その意思によって導き出された「答え」は絶対ではありません。
なぜなら人はこの世の全てを知り尽くしては居ません。
導き出された「答え」は「現在自分が持っている情報」という
極端に限定された条件の中で導き出された「仮定」の答えでしかありません。
新たな情報、新たな視点が加われば当然
根底から覆され変更しなければならない仮定のものだと言うことです。
どんなに絶対と思えても絶対ではありません。
絶対なのは「我思うゆえに我あり」唯一つです。
人間社会に限定すれば「より正しくより良くという{意思}」唯一つです。
それ以外の何かを絶対だと思ったならそれは100%勘違いであり妄信です。
二つ目の軸はここに立て固定しましょう。
「人間社会で」絶対的に正しい
「より正しい答えを、より良い結果を導き出そうという意思」
長いので「正意」と略します。
今後「正意」というときは上記の意味で使用します。
この意思「正意」こそが人間社会であらゆる判断の軸になるべきもの。
明確に固定されねばならない「軸」です。
「正意」から導かれた「答え」に軸を移してはなりません。
「答え」は常に間違っている可能性を多分に秘めた「仮」だからです。
いや十中八九間違っているでしょう。
所詮一人の人間が現在持っている情報「だけ」で導き出した答えなんですから
間違っていないほうがおかしい。
間違っているものを軸にしてはおかしな人間になってしまいます。
次にその「正意」に従い、より正しい答え、より良い結果を導く方法に進みます。
人一人が持つ情報量など高が知れています。
常に知らないことのほうが多い。圧倒的に多い。絶望的に多い。
自分が知らないということすら知らなかったりします。
また一人では一人分の視点しか持てません。
別の視点や新たな情報を持つには他人が必要です。
互いの意見や情報を共有し間違いを正しつつ
多方面から検証し「答え」を「より正しい答え」に修正し昇華し共有する協力作業があります。
そうです。それが議論です。
はて・・・
しかしこの日本で議論というものは正しく行われているでしょうか。
国会でもネットでも酒の場でも
互いの意見や情報を共有し間違いを正しつつ
多方面から検証し「答え」を「より正しい答え」に修正し昇華し共有する協力作業
が行われているでしょうか。
小さな会社の会議などではしっかり行われてたりしますが
国会でそんな美しいもの見たこと無いなぁ・・・
2ちゃんレベルというか子供のケンカ?
「互いの意見や情報を共有し間違いを正しつつ
多方面から検証し「答え」を「より正しい答え」に修正し昇華し共有する協力作業」
これに当てはまらないならそれは議論ではありませんケンカです。
討論という形式の議論もありますが
これはどちらか、あるいは両方が「正意」に軸を置かない者である場合の次善策です。
議論は協力作業です。
参加する全員が「正意」に軸をおいていない限り成り立ちません。
ちなみに。
民主主義国家の本質は「議論」です。
・・・・・ちょっと日本の病理の根源が見えてきた感じがしませんか?
続くっ!!!
印刷機・・・
プリンター買ったヤツをチェック用にしようと思ってたのに
印刷精度がよろしく無いのか線はガビガビトーンはぜんぶモワレて役に立ちませんOTL
最高画質で印刷してるのに。
ちっ。
まぁそのうち役に立つ日も来るでしょう。
カラオケの替え歌歌詞印刷とか名刺とか・・・
・・・・・・はぁ・・・
きららOK出たのでブレイド再開。
ああ・・・爆発シーンがあるよ・・・
凄く久しぶりな表現だよ・・・
エロ漫画じゃ爆発はつかえないもんな。
いやいっそ使ってみるか。
一突きごとに爆発が起こって壁ごと吹っ飛び効果音がズガアアアン
女の子が騎乗位で腰を打ち付けるたび大地が砕けクレーターと化していく。
うわ。くだらねぇ。
http://www.youtube.com/watch?v=xTFtQvC4k-w
明日保守系のデモがあるらしいよ。
関東圏の方GO。
俺?さすがに無理。
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